04.27.03:44
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02.01.23:12
夢伝説
大阪時代に、数え切れないほどのバンドに参加しました。
一回限りのセッションバンド、トラで呼ばれたお手伝いバンド
フォーク、ロック、ジャズ、フュージョン。。。。
一年も続けば長いバンド活動でした。
関西方面はメンバーさがしには困らなかったものです。
逆にクビにならない様に日々努力の毎日でした。
あるトラで参加したバンドがありました(3ヶ月くらいお手伝いしたかな)
ボーカルのKくんは、ヤマハの営業を職業としていました。
Kくんは出張で関東へ出かけました。
お得意さんの接待で、スナックへ行きました。
まあ、スナックといえばカラオケは付き物
お得意さんとKくんは、カラオケ大会状態でした。
たまたま居合わせた、お客さんのリクエストした曲がかかりました。
Kくんは心の中で『お得意さんの歌は我慢できるけど、あんな奴の歌はな・・・勘弁してほしいな』
っと呟きました。
でも、その予想を裏切る出来事が。。。。。。。
『上手い! きみ~上手いな~』
『はあ、まあ~そこそこに・・・』
『滅茶、上手いで~レコード出せるで~』
『はあ、ぼく~レコード出してます』
『へっ、なんて名前で?』
『Stardust Revue ってバンドで・・』
『・・・・・知らんな~』
『はあ、まだそんなに売れてませんから・・・』
そう、あの『スタ☆レビ』の根本要さんやったんすよね
ほんの少し後に、あの名曲『夢伝説』がカルピスのCMに採用されて
Kくんは『俺、スタ☆レビの根本要と知り合いなんやど~』っと
自慢しまくってました(笑)
関東に出張したときは、要さんとよく遊んだそうです。
大貫妙子さんも紹介されたそうです。
まあ、聞いた話ですから・・・真実はKくんしか判りませんが(笑)
でも、本当の話です。。。。。やな、Kくん
要さんもいいですがやはり敬さんを外すわけには
いかないですよね、あと同時代の人として
渡辺和博さんも捨てがたい、あジャズやギターの
話でなくてスミマセン。
僕もレーザーカラオケ以前にうたばんやってましたが
いろいろなお客さんがいました。
夜のお酒を飲む店であることも相まって、一種の
社会の縮図、人間百科事典でした、そして演奏は
うまけりゃいいってもんじゃない
お客さんを満足させてナンボということも学びました
上手いギタリスト、ジャズメンは、例外なく
上手いですが、聴衆を満足させることに関しても
長けた人が多いですよね、それでないと歴史に残らないんでしょうけど
渡辺和博さんって勉強不足で知りませんでした。
『ガロ』っと言えば、ジャズ爺の久住さんも
泉昌之と言うペンネームで活躍されてました。
うたバンやってましたか
僕は、ダンパー(ダンス・パーティー)で
流行のディスコや洋楽、歌謡曲を演奏してました。
自分の好きな演奏したい音楽が
必ずしも好まれるものでは無いと痛感した時期です。
今思えば、一番うけた時期だったかも(笑)
凄い演奏はしてないけど
楽しそうに踊ってるお客さんをみてたら
楽しかったな~
お稽古事の発表会パーティーとかXマスパーティーの
BGMはよくやりましたね。
僕が結局ロープを目指さなかった理由のひとつが
「好きなジャンルの音楽ではメシは喰えない」
でした。もちろんそれ以前に才能とかセンスが
足りないのは言うまでもありませんでしたが
ショーマンに徹することの(割り切ることの)
難しさを痛感しましたね。
もし、日本でフュージョンが受けまくっていたら
迷わずプロを目指したかも知れませんが(笑)
憧れのオトナ像だったのですが、残念です。合掌
あの頃の人達の様なパワーを持った人は
今は少なくなってますよね
情報や物が溢れてるいま
ハングリー精神の人が・・・
書いてます。
仲がよかったみたいです。
こちらに書いてます。
http://www.qusumi.com/nikki.html
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