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音楽、波乗り、ギターとかのはなし 最近は、Twitterで 呟いてます。 とても楽です(笑)
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  • 04/27/05:18

05.19.11:52

ふりてんの寅さん

なんやかんやで
本家よりの文章が
まだ続きます。


『とらさん、ふりてんのとらさん(ふうてんの寅さんではないんです)
とらさんはブルースギタリストでした。ジャズバンドと掛け持ちで参加してた
ロックバンド『ジャム』のギタリストでした(リーダーがクラプトンが好きやったん
ですな~)
とらさんにペンタトニックとか、ブルーノートってものを教えて貰いました。
とらさんは何時も言いました『ええか~ブルースはな~ハートや、ソウル
なんや~気合で弾け、気合で!』
だから、今でも僕はどないアドリブしようか悩んだ時はスケールとか
アルぺジオとか難しい事は考えず気合で弾いてます。初心者ですから・・

ある日、とらさんの家へ遊びに行きました。
とらさんの奥さんが僕にこういいました『大変やな~まだ若いからええやんか』
えっ?なんの事やったかいな~と考えていたら、とらさんの何時もつかってる
自慢のフェンダー・ストラトキャスターは僕のギターと言う話になってました。
奥さんの話では『あんな高いギター買ったらあかんわ~お父さん、お母さん
にバレタラ怒られで~もうちょっと、うちで預かってあげるから早めに言わな
あかんで~家の人に』
あっ、はいうちのオカはん うるさいんですわ~
悪いけどもうチョッと預かって下さい(^_^;)
こうなると、話合わすしかありません
その日はなんとか誤魔化して帰りました

でも、嘘はいつかはバレルんですよね~とらさん
奥さんに かなり怒られたみたいです。
あのストラトは良い音してたな~僕は結局
一回も弾く事はなかったけど、ほんと良い音やったな~とらさん』

若い頃は貧乏で(今でもか~)
高価なギターは買えませんでした。
ギブソン、フェンダーなんてのはショーケースの中に飾ってました。
国産のグレコ、フェルナンデス、アリア、ヤマハですら
安いギターしか買えなかった。。。。。。

ブルトレの林さんはギブソン
ジャムの寅さんはフェンダー
田舎者の貧乏ギタリストはボーナスで買った
5万円のレスポールモデルがやっとでした。
今考えると、グレコもいい音してました。
フジゲンが造ってたから
いい仕事してて当たり前ですけど

そんなこんなで
僕は外国製のギターより
あの頃買えなかった
国産高級ギターマニアになりました(笑)

0040_1.jpg








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05.17.19:31

スーパーベーシスト ~小林正見くん


またまた
本家よりネタを借りてきました。。。

『小林くん、小林くんと言う素晴らしいベーシストと初めて会った時はインパクトが
強かったな~
あるドラムの人にギター弾きに来いと誘われてスタジオに入りました。
少し遅れてニコニコと人懐っこい笑顔で小林くんは現れました。

さっそく音を出す事になった時、小林くんは『全然練習して無いし、無茶苦茶
難しいな~』と言いました。
よかった~俺も練習してないんや~でも、演奏が始まった時
それは違う次元で話してたのが分かりました。
その時すでに小林くんはプロ活動をしてたんですわ~
でも、勉強セッションしてるから遊びにおいでよ誘ってくれました。
勉強になったな~あのセッション ピアノの人は上手くなったやろな~

家にもよく遊びに行きました。お母さんの大盛りご飯はうまかったな~
お父さんも良い人やったな~小林くんはよく練習してたな~

いま小林くん(小林さんかな)はCDを何枚か発売してます。
僕も4枚聴きました。フュージョンを2枚、ソウルを1枚(ボーカルはなんと
越智順子さんです)ゴスペルを1枚(一曲目はトテモいい曲ですね~)出してます。
是非、聴いてみて下さい。カッコイイんですわ~
詳しくは小林さんのHPで!! (リンクのページにあります)
PS / Hanna Bunyaさんのホーム・ページもリンクさせてもらってます。』

小林くんと、ピアノの山本くんと僕は
毎週のように勉強セッションをしました。
ライブに出るとか、録音するとか
そんな特別な目的は無く
純粋に上手くなりたい。。。ただそれだけ
僕以外はみんな、ハイレベルやったけど
一音一音が勉強になりました。

たまに、僕が突拍子のないフレーズを弾くと(滅茶苦茶とも言いますが・・・笑)
『うわ~なんやそれ~』『それ面白いから、今度使うわ~』っと
小林くんは笑ってました。
心が広い人は
音も大らかなんですよね

一段とパワーアップした小林くんは
関西ではかなり頑張ってるみたいです。e47665a3.jpg



ハンナバンドでも
ベース弾いてるそうです。

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05.13.10:23

梅ちゃん

なんやかんや言いながら
ネタが無いので、本家の文章を
少し手直ししてみます。

『ウメちゃん 梅本さん とっても個性的なドラマーでした。リキヤさんと(東原力哉さん)
仲が良かった記憶があります。

ウメちゃんはいつもステックを手放さない、ご飯食べるときも電車に乗るときも
いつもウメちゃんはウォークマン(懐かし~い)でスティーブ・ガッドのドラムの
フレーズを口で歌ってました。たとえそれが電車の中でもウメちゃんの頭の中では
スティーブ・ガットなんです。変な人やな~と思ってウメちゃんにかっこ悪いですよ~
と言った僕に、『あのな~口で言えんフレーズはたたけんのや~』とウメちゃんは
いいました。カッコイイ~ウメちゃん

という訳で僕も難しいテーマとかソロは口で歌いながら弾きます
決して変な奴ではありません。たぶん・・かな 』

梅本さんは個性的でした。
ミュージシャンなら当たり前の様な
一般常識は通じない人でした(ごく一部の人の話です。常識のある
ミュージシャンも沢山います)
でも、普通じゃないところが魅力なんですよね
ミュージシャンの世界は実力、運、そして人を踏み台にして
上を目指す・・・・ぐらいの精神力が無ければ
潰される世界の気がします。

そういえば、梅本さんの実家は昔ながらの農家で
そして豆腐屋を営んでました。
いちどお邪魔したとき
『○○くん、出来立ての油揚げを炙って食べたら上手いやで~』っと
御馳走になりました。
ほんとうに、美味しかったな~

今でも、現役でドラム叩いてるんやろな~梅ちゃん
やはり、ガットかな。。。。。。。。。。。。

393a8120.jpegスタッフのテープをウォークマンで聴きながら
スティックで膝叩いてました。

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05.11.18:53

ブルートレイン ~昆布さん元気?



またまた、『本家』より文章をアップしてみます。
不定期のはずが2日連続に。。。。。まっいいか~

『ジャズと言う響きは素人にとって、とっても難解な音楽の様な気がします。
ギターを始めて、いきなりロックバンドとジャズバンドを掛け持ちしました。
というより、ローディーの様なものでギターは弾かさせて貰えないし
誰もギターを教えてくれませんでした。

ある日、ジャズバンドでダンスパーティー(ダンパってやつです)で演奏依頼があり
バンマスに一曲ギターを弾けと言われました。たしか、ビートルズの曲でした。
テーマだけの譜面を渡されました。でも~譜面が全然読めなかったんですわ~
ロックバンドの人達は、ハートとかソウル、勢いで弾けーって感じやったから
カルチャーショックでした。
あ~こんなんがジャズってもんなんや~と勝手に思い込んでしまいました。
でも、あのバンド結局スタンダード演奏せんかったな~名前はブルートレイン
やったのにな~

でも、勘違いに気づくのにはあまり時間はかかりませんでした。(当たり前か~) 』

まあ、スタンダード演奏しなくても本人がジャズですと言えばジャズ
スタンダード演奏しても、ジャズとは思えない演奏もありますよね
マイク・スターンを初めて聴いたときは
『な~んや、ロックの兄ちゃんやんか~』っと思ったものです。
でも、今思うと充分にジャズしてます。

初めて買った香津美のアルバム
このアルバムも
『なんや~ロックやんか~』っと思いました。
でも、ペンタ一発フレーズじゃ無いことは
なんとなく理解できました。
でも、世界の香津美さん
すでにこの時から伝説が始まってたんですよね

因みに、ブルトレのドラマーの昆布さんの
スーパー・オーディオで大音量で聴きました。
たしかアンプが1kWでスピーカーが
下駄箱と勘違いしてしまう
アルテックのスピーカーでした(笑)

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05.10.19:20

見吉さんのアロハシャツ

最近、書くネタが無くなってきたので
本家のHPで過去に書いた『リズムと波に乗れ!』の文章を
ほんの少し手直しして、不定期にアップして行きます(っと言っても、誰も期待してないか)

『僕が波乗りを始めるきっかけは、ドラムメーカーで一緒に仕事してた
見吉さんの影響です。
見吉さんは、風貌もライフスタイルもサーファーでした。(80年代の話ですが・・)
髪は塩で焼けて茶髪(今は皆茶髪ですが・・)当時は、ミュージシャンか
サーファー位しかロン毛に茶髪はいなかったんです。(ヒゲもはやしてたな~)
一番 印象に残ってるのは、会社に真っ赤な生地にスイカの絵が入った
アロハシャツを着て来た事です。
カッコイイー この人に付いて行こうと思いました。

もう一度 見吉さんと波乗りいきたいな~
真っ青のロング・ボードにのった、自信満々の笑顔が懐かしいな~ピース&アロハ 』

ある日、見吉さんは会社に真っ赤な西瓜柄のアロハシャツに
レーバンのサングラス、リーバイスの501、コンバースのスニーカー姿で出勤してきました。
当時のパール楽器は開放的な会社でしたから、ある程度のファッションは大目に見てくれました。
でも、さすがに真っ赤なアロハは所長も見過ごせなかったみたいで
『見吉くん、君な~何時までも若くないし、若い後輩から見吉さんって言われてのやから
もう少し、大人しい服装してくれへんか~』っと言いました。

でも、僕らの目にはカッコよく見えたんですよね
今風に言えば『チョイワル親父』ってやつでしょうか

でも、見吉さんはお洒落やったな~
当時、一世風靡した『ビッグ・ウェンズディー』のベアーのTシャツも
いち早く着こなしてました。
たぶん、マット・ジョンソンになった気分やったんでしょう。。。。。

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